15歳、夏 初めてのオフ会

3年ぶり?4年ぶり?のブログ更新です。

あと2ヶ月で30歳になるなぁなんて考えながら過去の写真漁ったり、過去書いた文章を読んでいたら初めてのオフ会ってちょうど15年前だっけと思い出したのでその時の話をします。

記憶にあるTwitterでの最初のオフ会は虎アカウントを作った2016年だったんですけど、僕の人生初オフ会はネトゲ経由であり、時期はTwitterでオフ会をはじめるのよりもう少し前の2012年でした。

参加の経緯は割愛しますが、たまたまネトゲのギルドメンバーに関西在住者が多く、オフ会やるなら副ギルドマスター(中3にしてカリスマ性を抑えきれず幹部に昇格しました)の僕も行くっきゃないっしょ!ということで受験生なのに夏期講習をサボってオフ会に参加することになりました。

※参考記事 ギルドとは:https://netgamebm.com/words/view/14

当時のブログとか出てきてしまうのでガチのHNは明かせませんが、雰囲気を掴めるような仮HNを便宜上以下の通り設定し、ついでにオフ会参加前にわかっていた情報を覚えている限りで付記します。

☑️疾風さん:ギルドマスター。30歳らしい。「ブフォww」とか書いちゃう2010年代に絶滅した古のネットユーザー。

☑️ワンコちゃんさん:30代主婦らしい。たまにギルドチャットでエッチなことを言う。

☑️Lさん:大学生らしい。めちゃくちゃネトゲ内でのレベルが高いガチ廃人。常にログインしてる。

☑️†J-U-D-G-M-E-N-T† :僕です。殺してください。

 

そもそも僕は当時携帯を持っていなかったので待ち合わせ場所の地図はPCでプリントアウトしてカバンに入れていましたし、公衆電話から塾には体調不良の連絡を入れたりと相当大変だったと記憶しています。便利になったよなあ…

加えてオフ会のある大都市中心までは当時僕が住んでいたところからは電車で2時間かかったので、校区が世界の全てと言っていいレベルだった僕にとっては大冒険でしたが、あまり困ることなく18時の待ち合わせに間に合ったと記憶しています。

面倒くさくなってきたのでオフ会については結果だけ書きます。

-ワンコちゃんさんは普通にエロ人妻だった。

-Lさんは立命館のイキリメガネオタクだった。中学生の僕にいかに自分がすごいかについて説いてきた。「リィツメイカンッスw」って言ってた。

-疾風さんは早口キモピザオタだったけど、「†J-U-D-G-M-E-N-T†くんは若いのにギルドマスターになるくらいゲームの中で強くてすごい!」とか「†J-U-D-G-M-E-N-T†くんは遠路はるばる来るなんて勇敢だ!」なんてめっちゃ褒めてくれた。めっちゃいい人。ギルドマスターの器。

-コミュ症発揮したけど楽しかったし大人になった気がした。

※ちなみにオフ会は居酒屋でやったけど酒は飲んでません。

 

今思うとオフ会でいい人が来る割合は今も昔も変わらないんだなと思います。この時以降、立命館大学の人が来たら「チェンジで」とお願いするようにしています。

会自体は楽しかったし、オフ会へのイメージが良くなって参加のハードルが下がったからこそTwitterで友達ができたのかなとしみじみしてます。(しみじみしてません)

 

オチはないけど終わります、フォロワー各位24年も飲みましょう!

イケてる男の象徴

「いつか絶対にバキバキにイケてる髪型、髭に戻して生きてやる」

4年前、大学の卒業式と内定先への入社日が間近に迫り、ご自慢の又吉風ヘアーとMr.サタン風の髭を刈り落とす直前に感じたことです。

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田舎で金髪マイヤンオヤジを見ながら幼少期を過ごし、学生時代には先述のスタイルで海外放浪したことにより美的感覚がイカれた僕にとって、いかつい髭と髪型・髪色は社会に媚びずに生きていけるイケオジの象徴であり、自由の象徴でした。

 

「その汚い無精髭に触れると痛いから脱毛して」

僕の""""カノジョ"""""から4ヶ月前に通達されたA級任務です。

「社会に媚びる人生」か「自由」か。選択の刻は来ました。

「髭は自由象徴‼️😡俺自由守る‼️😡😡」と朝青龍構文で主張してみたものの、相手にされません。

僕は湘南美容外科で髭の永久脱毛をすることに決めました。

そうすると、心が晴れやかになりました。

僕は「自分は自由な人生を生きなければならない」と自分に呪いをかけ、結果として不自由になってしまっていたことに気が付いたのです。

髭を剃る選択をもできる人生こそ自由なのです。

 

駆逐してやる、この世から1本残らず。

僕の無精髭(じゆう)がキミを傷つけないように。

 

女は踏み台使い捨て

お久しぶりです。

泥酔して逆方向の電車に乗り、埼玉の辺境で終電を逃したと聞いて東京から埼玉まで50km運転して迎えに行くくらいには好きだった元すきぴさんにブロックされてから半年経ちました。

 

この話を付き合う前の今の彼女に伝えていたのですが、年末年始の帰省中に今の彼女に「会いたい」と言ってもらえたとき、「この話をしていたからこそ誠意を見せなければ」と地元から400km離れた彼女の地元まで遠征したところ、結果としてその日のことが告白okの決め手になったそうなので人生に無駄なことはないですね、イェイ。

ちなみに比べるもんじゃないですが今の彼女は歴代No.1にラブいです

明日もお仕事頑張りましょう

 

優しくなれた

学生時代の親友から結婚すると伝えられた。

相手のことも知っていたので特に驚きはなく、すぐに心の底からお祝いの言葉を伝えた。

 

久しぶりに会うと「昔と比べても中身は全然変わらないね!」なんて言う友人もいるけれど、2ch生まれネトゲ育ちの卑屈な僕が人の幸せを心から祝えるようになったんだから割と大人になっただろ!と自覚している。先述の件は象徴的な出来事だと思う。

 

5年前、この先この料理を超える食べ物には出会えないだろうと思える料理に出会えた。

3年前、ワイナ・ポトシの頂上から朝日に照らされる金色の雪とラパスの街並みを見てこれ以上美しいと思える景色は二度と見られないと思った。

こういった経験をよりどころとする「やりたいことをやり切った感」は一方で人に優しくできるきっかけになって、また一方ではここから人生は閉じていくだけだという絶望感を覚えるきっかけにもなった。

 

この優しさを向けられるべきは、この絶望を癒してくれるのは、すきぴ、君だった筈なのに…

これは僕の失恋じゃなく、僕とすきぴの失恋。

すきぴ、悪いのは君じゃない。もちろん、僕でもない。

悪いのは僕に憑いた【"""霊"""】です。

 

ーーーーーー以下、宣戦布告ーーーーーーー

我が身に纏わり付く穢れた霊よ。

俺はお前の行いに【遺憾の意】を表明するぜ。

座禅の聖なる炎で貴様を焼き尽くし、その身を滅する。

おっと、逃げるのかい?そっちは行き止まりだよ?笑

責任はちゃんと取らなきゃね笑

 

奈  落  へ  よ  う  こ  そ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再会

最近、旧友と再会していろいろ思うところがあったのでブログで共有したいと思います。

前置きとして、少し昔話をします。

 

【僕と高校受験】

2010年夏、友達と一緒に高校生活を過ごしたいという考えから、僕は友達と一緒にヤンキーかジャンキーしかいない偏差値30台の限界高校に出願する予定だったのですが、親にバチボコに叱られ、まあまあまともな高校を目指すことになりました。

 

そのままの状態で志望校に受かるはずもなく、僕は受験勉強することを強いられました。勉強する場所として選んだのは、近所の図書館の自習室でした。

図書館の周りにはマクドナルドくらいしか飲食店がなく、普段はそこでチーズバーガーを2個購入し、昼食にしていました。

その時の僕はまだ自分の運命に気づいていませんでした。

 

【偉大な友人との出会いと彼の死】

僕には気に入ったら同じものを食べ続ける習性があります。過去には磯丸水産のまぐろ2色丼、ファミチキ、パルム、セブンチャーハンなどを毎日のように食べていました。

 

当時のお気に入りはチーズバーガーだったのですが、ある日何を思ったのか違うメニューを頼んでみたいと感じたです。

(ここで「その時歴史が動いた」というナレーションが入る)

 

僕はこの日、唯一無二の友人となる「「「マックポーク」」」に出会います。

マックポークとは2007年から2012年の間全国のマクドナルドで販売されていたいわゆる「100円マック」で、当時は同じ「100円マック」であるチキンクリスプと人気を二分していました。

 

「ウマっ、ウマっ、なにこれウマっ」

遠い昔の話ですが、そう思ったことだけは覚えています。

 

それから僕は狂ったようにマックポークを貪り始めました。朝飯、昼飯、3時のおやつ、晩飯にマックポークを採用し、チキンクリスプ信者を2chで叩きました。

 

マックポークの豊富な栄養価のおかげもあり、僕は無事第一志望に合格しました。

その後高校に入って部活に勉強にと充実した日々を送るうちにマックポークを食べる頻度は減っていきました。

高校二年の時、僕は「久しぶりにマックポークと“”対話“”しに行こうと近所のマクドナルドを訪れました。

しかしもうその時にはメニュー表に「マックポーク」の文字はなく、僕はただ天井を見つめるだけでした。その日の記憶はもうありません。

彼は僕に別れを告げることもなく死んでいきました。2012年、銀杏の葉が色づき始める10月の出来事でした。

 

【生きていく】

中学時代、僕は1日1個はマックポークを食べていました。僕の塾の友人4人も同じでした。日本の人口は約1億2000万人なので、マクドナルドは1億2000万個/日(120億円/日)の売上を放棄したことになります。(僕はフェルミ推定が得意です)

 

マックポークの販売終了を知ってからは、「日本マクドナルドは大馬鹿者だ。2兆株を売却する」と毎日のように友人に吹聴していました。最初こそ共感を集めていましたが、周りに相手にされることはなくなりました。

 

人間は嫌なことを忘れる動物だとはよく言ったもので、日に日に腹の底から湧き上がる怒りというものは消えていき、最後には僕の記憶からすっぽり彼の記憶は抜け落ちていました。

 

時は過ぎ、7年後の2018年。現在僕は関西を離れて東京でサラリーマンをしています。

僕の会社はどちらかというと激務の部類なので夕食がファストフードになることが多く、その日もオフィスの近くにあるマクドナルドに夕食を買いに行きました。

マクドナルドのスタッフはレジの前で注文するメニューを決めかねている客に新商品や比較的単価の高い商品を勧めることがあります。

この日、僕は残業続きとノルマへの意識で疲れていたためレジの前でぼーっとしてしまっていました。

すると店員が「「「ベーコンマックポーク」」」を勧めてきたのです。

「へえ、そんなの出たんだ。 …え!?マックポーク!?!?!?」

僕は「2秒で持ってこい」と店員に命令しました。

 

1.3秒後、僕に提供されたマックポークの発する香りは僕の第六感(シックス・センス)を刺激しました。

僕は数年ぶりの再会を喜びながらマックポークを口に入れました。

「ばくり。もぐもぐもぐ。」

次の瞬間、僕の眠っていた記憶が次々とよみがえっていくのを感じました。

 

ケンカした友人にごめんと言えずに卒業式を迎えた。

好きだった子に告白できなかった。

部活も勉強も就活も全力で取り組めなかった。

自分が夢中になった趣味を介して知り合った友人をなぜか冷ややかな目で見てしまっていた。

親の期待する自分になれなかった。

毎日仕事に行くのがつらい。

 

けれど

僕には仲のいい友人がいて、大好きな彼女がいて、健康な親がいる。きっと取り戻せる。

食べ終わるころ、僕は泣いていた。

「ありがとう、マックポーク。」

僕は入店時より明るい顔で、残った仕事を処理するためにオフィスビルに戻りました。

 

【epilogue】

3連休が終わり、明日から仕事が始まる。仕事をしていれば嫌なこともきっとある。それでも前を向いて生きていくべきだということをマックポークは教えてくれた。

 

だから僕は地元のマクドナルドのほうに向かって手を振りながら今日もこう言うんだ。

「明日も一日頑張るぞい」